2019/05/31

浄智寺から葛原岡神社へ

きのうあまりにもカラッとして気持ちよい日だったから思いたって北鎌倉の浄智寺から葛原岡へ上るルート、葛原岡ハイキングコースを歩きまわってきた。

出かける前に北鎌倉駅のすぐ横にある光泉へ電話して昼メシにといなり寿司の折り詰めを発注して駅につく頃に受け取れるように手配した。というのもいかにも商売ッ気のないここのおやじ、とびこみで行ってもすぐには売ってくれない。そのかわり予約した時間に伺うとどんなに人がたくさんいようときちんとできたてのいなりを出してくれるんだが、ま、いつ行っても無愛想の極まり。
だがいなり寿司はウマイ。
昼メシをどこで食おうかと思案しながら歩き始めるうちに東慶寺。江戸時代には駆け込み寺、縁切り寺として名をはせた寺なんだが、野外学習なのか大勢の子共たちが元気にバタバタと駆け込んでいた。なので東慶寺はまたの機会にと隣の浄智寺、ご本尊の三世仏にお参りし、布袋さまの腹をなでて元気をもらってから山道に入りこんだ。いつも撮る定番の浄智寺の情景を撮るときに、ちょうど居合わせたお寺のおねいさんにお願いしてガラス戸を閉めてもらって写真を撮った。
しばらく浄智寺横になだらかに上る坂道を歩くと、寺の裏手のあたりに「宝庵」という民家風の茶室や「たからの庭」という陶芸とかいろんな講座が開かれている森の中の広場があるのだが、不肖佐助庵、未だおだやかな心持ちになることもできないから寄ったことがない。
大木の細い根っこがくねくねと網の目のように張りめぐらされている山道に入り込み、よたよたとひたすら上っていると左手にちょっとした切通があらわれた。が、先の方が急な斜面をトラバースしてゆく細い道になっているらしく進入禁止。よくわからないが方向的には海蔵寺のあたりに続いているようだった。

なおもしばらく上ってゆくと、峠のあたりに大きな岩と石碑が現れた。天柱峰といって浄智寺を開山した偉いお坊さまが谷(やつ)の風景をいつも眺めていたということなのだが、いまはもう樹木が大きく生い茂ってしまっていて遠くの風景はまったく見えなかった。
ここからはいくぶん下り気味にアップダウンを繰り返して、やがて葛原岡神社の横に出てきた。この神社は鎌倉幕府と敵対した帝の側近として討幕計画に参画し、後にとらえられてこの地で処刑された日野俊基を祀る神社。来週、日野俊基の命日に例祭がおこなわれるらしいから出直してこようかと思う。
うちまでひたすら下り道を下って十分とかからないのだが、神社の前がちょっとした広場になっていてベンチやテーブルがおかれている。やわらかい陽射しを浴びながら遅めの昼メシ、いなり寿司を食った。
ああ、じょんのび、じょんのび。

これで山歩きは終了。
途中、銭洗弁財天によっていこうかと思ったのだが、ここもノート片手に子共たちが元気に駆け回っていたから一礼してそのままうちに帰った。