2019/12/21

千両にあらず

紅葉にも食傷したな、そろそろ梅と桜だな、とふと思いついて久しぶりの荏柄天神社。
が、梅の花にはすこし早かった。一輪だけがポツンと咲いていた。

境内に「キ〜ザクラ〜……」という清酒会社のカッパのキャラを描いた漫画家の清水崑が建てた「かっぱ筆塚」というのがあった。そのそばに赤い実をつけた小さな木が植えてあって「十両」と書いた立て札があった。
ン? 十両ォ?……フ〜ン、ジュウリョウねー。不肖佐助庵、暮れになると街のあちこちで見かける縁起物の「千両」、「万両」というのは知っているが「十両」というのもあったのか、と。

荏柄天神社を出て、河津桜やいかに、とそばの鎌倉宮に行ってみたら鳥居の右側の木にだけ五輪ほどの花びらがパッと開いていた。つぼみもだいぶ色づいていたから年が明けたら満開になるんだろう。
そのまま報国寺へまわって冬桜を……と思ったのは間違いで、境内の手入れをしていた親方が「十月桜だよ」と教えてくれた。
十月桜の木のまわりには、あちこちに、これは「万両」の木が真紅の実をたわわに実らせていた。

2019/12/16

坂口一民さんをしのぶ会

マウントハットのワールドカップを思い出す。
1990年の夏、8月にニュージーランドで開催されたアルペンスキーワールドカップ、会場となったマウントハットの当時のオーナーだった日本のスキーショップ、ヴィクトリアを代表して坂口一民さんが表彰式でプレゼンターを務めたのだった。

雪がしんしんと降り積む冬のブリッケンリッジを思い出す。
コロラド州ヴェイルで開かれたワールドカップや世界選手権取材時、ブリッケンリッジにある坂口さんの自宅に滞在してくつろがせてもらい、奥さまの料理に舌つづみをうった。
当時ブリッケンリッジスキーリゾートはヴィクトリアの傘下。坂口さんは社長として現地に赴任していて、ヴィクトリアがブリッケンリッジを手放した後も彼の地で暮らしていたのだった。

病に倒れた坂口さんはここ数年は息子の亮さんの勤務先の近く、カナダのバンクーバーの南、ベリンハムというところで療養していたのだが、昨年春になくなったと便りがあった。亮さんは『パイレーツ・オブ・カリビアン』や『ロード・オブ・ザ・リング』などの水の流れにかかわる特殊効果を担当してアカデミー賞の科学技術賞を受賞した後、バンクーバーにある会社で新たなプロジェクトを開発中だ。

きのう神保町で開かれた「坂口一民さんをしのぶ会」へ行ってきた。
ヴィクトリアの創業社長荻野さんやJOC理事を務めていた「年さん」こと古川年正さんなどスキー界の面々が集まり、帰国中の坂口ファミリーをかこんで賑やかに昔話に花を咲かせた。

2019/12/15

おうい雲よ………

と柄にもなくつぶやいたわけではない。
2、3日前からニュースで知った「ふたご座流星群」を撮ってみようかと、眠い目をこすりながら二階の窓を開け放って、夜中の2時頃まで何度もシャーッターを押し続けたんだが、クリアだった空がだんだんと雲に覆われてしまい、流れ星がひとつも写ってなかった件。

2019/12/10

紅天井

こないだ獅子舞にいった帰りに通りすがった鎌倉宮。
見事なもみじの巨木に目をうばわれた。
紅天井」と名づけられた雅な冬もみじだ。

2019/12/09

公暁悲劇の道 四辻

天圓、大仏葛原岡、祇園。鎌倉のハイキングコースはどこも通行不可。倒木、コースの陥落などなど人力を駆使して懸命の修復が続く。復旧は来年の春になるのか、夏になるのか……。

きのう建長寺の奥、回春院を抜けて「公暁悲劇の道、四辻」へ向かう山道を探索してきた。「公暁悲劇の道」というのは鶴岡八幡宮の大銀杏に身を潜め、鎌倉三代将軍源実朝を暗殺した甥の公暁が山越えをして逃げのびる途中、追っ手につかまった山中の四辻。

建長寺山門をくぐり、仏殿の地蔵菩薩にお参りし、法堂に向かったら三十人ほどのお坊様が厳かに法要を営んでいた。そばにいた雲水に尋ねたら12月8日はお釈迦様が悟りを開いた日で、これは成道会(じょうどうえ)の法要です、と。
半僧坊に向かう途中右に折れ、回春院本堂前にひろがる大覚池をぐるりと回りさらに奥深く進んで山道に入りこんだ。ここも進入禁止なのだが、注意に注意を重ねて進むことにした。覚悟はしていたが山道には何本もの大木が倒れて塞ぎ、ところどころ山道が陥落していて軽装ではとうてい通りぬけできないほどに荒れていた。復旧にはかなり時間がかかるだろう。
いつもの倍以上の時間をかけ、藪の生い茂っている四辻にたどり着いた。左に行くと朱垂木(しゅだるぎ)やぐら群を経由して天圓の十王岩付近へと上り、右は鶴岡八幡宮、西御門へと下る。きょうは天圓へ向かわず、西御門へと下りた。

山道から一歩踏み出すと、そこは西御門の住宅地なのだが、舗装されている道路はかなりの急斜面が下まで続く。不肖佐助庵、山道を歩いているときよりずーッとこわい思いをして途中に石段もおかれている舗装道路を下って帰途についた。

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建長寺
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公暁悲劇の道四辻へ
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2019/12/08

漱石と鎌倉

「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」という正岡子規が詠んだ有名な俳句があるのだが、これとそっくりな一句を子規終生の親友だった夏目漱石が詠んでいたことを最近になって知った。
「鐘つけば銀杏ちるなり建長寺」。
こないだ北鎌倉の東慶寺の門前をうろうろしてたら、石段下の目立たないところに石碑があって、ひまにあかせてその石碑をまじまじと眺めていたら、石碑に漱石の「初秋の一日」という随筆の一部が刻まれていて、そこに面白いことが書いてあった。
「……高い石段の上に萱葺の山門が見えた。Zは石段を上る前に、門前の稲田の縁に立って小便をした。自分も用心のため、すぐ彼の傍へ行って顰に倣った。……」
ン? Zォ? 顰に倣ったァ? 石碑の横にあった案内板を読んだら、Zというのは満鉄総裁の中村是公のこと、「顰に倣った」とは連れションのこと、と書いてあった。石碑は漱石と中村是公が連れションをした場所に建てられたらしい。
……なんだ、教科書に載るような偉い人もヤッパリ同じ事やってんじゃねーか、とちょっと笑ってしまった。
はなしを元に戻す。
じゃあどーして漱石が建長寺で、東慶寺なのかというと、悩みを抱えていた若い頃の漱石が円覚寺に滞在し、参禅したときの管長だった偉いお坊様が後に建長寺の管長も兼任して、管長を辞めた後東慶寺の住職になった、と。
どうでもよいことだが、建長寺の鐘楼の案内板には子規の句と漱石の句の関わりを誇らしげに書いてあるが、これはやめといたほうがよいだろう。国宝の名を貶める。

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東慶寺
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2019/12/05

獅子舞の紅葉

 獅子舞の谷へ紅葉狩りに行ってきた。
もみじもイチョウもきれいに色づいてはいたのだが、二度の台風直撃のせいで塩害にやられて葉の密度がスカスカだった。色づく前に葉が枯れて散ってしまったんだが、去年よりひどかったかもしれない。
赤いもみじや黄色いイチョウの葉の向こうの青い空ばかりが目立つ獅子舞の紅葉だったゾ。

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2019/12/02

なう

鎌倉は朝から横なぐりの雨。

昼になって洪水警報が出て、続いて大雨警報。
モワッとした汐風が佐助界わいを通りぬけた。

夜、ふと空を見上げたらそれはそれは見事な上弦の月。