客人を見送った足で雨中英勝寺へ白藤チェック。
が、満開にはもうすこし………。
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白藤英勝寺
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藤の花 2019
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2019/04/30
2019/04/29
名越切通から浄明寺へ −鎌倉七口 その一−
きのう大町から浄明寺へぬける名越切通ルートへプチトレッキングにいってきた。
うちを出たのが九時ちょっと前、混雑する前だったから久々のスターバックスでプール脇の藤の花を眺めながらコーヒーにありついた。
鎌倉七口のひとつ名越切通では、いつも遭遇するニャンにご機嫌をうかがった。元気そうでなによりだった。
まんだら堂やぐら群に入ったのは久しぶり。鎌倉期に築かれた死者を弔う大規模な遺構なのだがまだまだ整備がつづいているよう。再び山道に入り謎の二基の石廟(せきびょう)脇から、さらにかつての石切場跡、大切岸を通りぬけた。
まんだら堂やぐら群に入ったのは久しぶり。鎌倉期に築かれた死者を弔う大規模な遺構なのだがまだまだ整備がつづいているよう。再び山道に入り謎の二基の石廟(せきびょう)脇から、さらにかつての石切場跡、大切岸を通りぬけた。
鬱蒼とした山道を巡りめぐって、やがて現れた急な階段をハアハアゼイゼイとやっとの思いで登りきってパノラマ台に登頂するとまっ白な富士山がくっきりと姿を見せていた。しばらく寒い日々が続いた後だったから季節外れの雪が降ったのかもしれない。
絶景を存分に堪能し、ひと息ついたあと、浄明寺緑地をぬけて報国寺方面へと下った。途中旧華頂宮邸がめずらしく開放されていたから、他には人っ子一人いない大庭園をひとり占め。緑の絨毯を見おろすベンチに寝転がってのんびりとくつろがせてもらった。
ぶらぶら歩いてすぐそばの報国寺は竹林めあての人ヒトひとの波。喧噪を極めていたから山門前で一礼し、そのまま通りすがった。
いいかげん疲れたからバスに乗り、駅の近くにある鎌万で客人をもてなすための買い出しをしてから帰途についた。
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2019/04/23
坂倉準三
いまを去ること数十年前、かの岡本太郎が例の独特なポーズをとり、目をむいて「芸術は爆発だぁーッ!」と叫んでいた頃、スキーグラフィックというスキー雑誌の取材で南青山にある岡本太郎邸へ撮影に伺ったことがあった。住まいとアトリエ兼用の、通りに面した庭の鬱蒼とした樹木に囲まれた邸宅だった。が、いわゆる一般の住宅とは一線を画す構えの建物だったから、やはり岡本太郎さんがご自分で設計にかかわったのですか、と秘書の女性に尋ねたら「いいえ、坂倉準三さんが設計なさいました」と教えてくれた。とはいえ初めて耳にする坂倉準三という名前をすぐに理解できるほどの知識も持ち合わせていなかったからそのはなしはそこで終わり、坂倉準三という名前だけが記憶に残った。
そして居間からアトリエに移動して例のポーズで数ショット撮影したのだった。
こないだ鶴岡八幡宮の境内にある平家池のほとりに「鎌倉文華館」という聞き慣れない施設がプリオープンされたというので、いったい何の施設なんだろう、と偵察に行ってきた。
そもそもこのたてものは「かまきん」とよばれていた県立近代美術館。不肖佐助庵、自慢じゃないが美術のことなんてなんにもわからないからよほどのテーマでなければ鑑賞に行くこともなかった。けれどもいつも参道を通る度に、古(いにしえ)からある神社にそぐわない白い建物はごくあたりまえの風景として目に残っていた。
設計したのは坂倉準三。かまきんは日本の近代建築の傑作、なのだった。
……というわけで、美術館の閉館後県から建物の寄贈をうけた鶴岡八幡宮が、大切な建築遺産をむげに取り壊すわけにはいかないとほぼそのままのかたちで苦節三年の改装、耐震工事を経て6月から再び本格的にオープンするそう。が、境内にはすでに「鎌倉国宝館」という市の施設もあるわけだから、鎌倉文華館がどんな位置づけになるのか佐助庵的には見当もつかない。
なにもかも新しくなってしまった坂倉準三の遺産だけれど、ピロティの天井には、かつてのかまきんの面影と同様水面の反射光が美しい光の文様を描いていた。
吹き抜けに大きな壁画のあった学食風のカフェ、いや喫茶室が妙になつかしかった。
あの壁画はどこへいったのだろう。
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そして居間からアトリエに移動して例のポーズで数ショット撮影したのだった。
こないだ鶴岡八幡宮の境内にある平家池のほとりに「鎌倉文華館」という聞き慣れない施設がプリオープンされたというので、いったい何の施設なんだろう、と偵察に行ってきた。
そもそもこのたてものは「かまきん」とよばれていた県立近代美術館。不肖佐助庵、自慢じゃないが美術のことなんてなんにもわからないからよほどのテーマでなければ鑑賞に行くこともなかった。けれどもいつも参道を通る度に、古(いにしえ)からある神社にそぐわない白い建物はごくあたりまえの風景として目に残っていた。
設計したのは坂倉準三。かまきんは日本の近代建築の傑作、なのだった。
……というわけで、美術館の閉館後県から建物の寄贈をうけた鶴岡八幡宮が、大切な建築遺産をむげに取り壊すわけにはいかないとほぼそのままのかたちで苦節三年の改装、耐震工事を経て6月から再び本格的にオープンするそう。が、境内にはすでに「鎌倉国宝館」という市の施設もあるわけだから、鎌倉文華館がどんな位置づけになるのか佐助庵的には見当もつかない。
なにもかも新しくなってしまった坂倉準三の遺産だけれど、ピロティの天井には、かつてのかまきんの面影と同様水面の反射光が美しい光の文様を描いていた。
吹き抜けに大きな壁画のあった学食風のカフェ、いや喫茶室が妙になつかしかった。
あの壁画はどこへいったのだろう。
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2019/04/22
たけのこハンター!
きのう佐助庵にたけのこハンター集結。
居間から眺めてもたけのこらしきものはなんにも見えないのだが、練達のハンターの手にかかればこれご覧の通り!
さっそくたけのこご飯にしてふるまったのだったが
食べ終わる頃に気がついてあわててシューティングね。
シュワーッチ!
おまいさんのID永久に無効にするよ!
けさほどこんな着信。
もちろんスパムフォルダに入っていたんだけどね。
ン? スイス? ちょっとドキッ。
ま、カンケーないか…。
apple ID は無効になんかならないし…。
みんなも気をつけてネ。
(以下グーグル翻訳……)
こんにちは、
最近オープンした場所
日付:2019年4月21日
IPアドレス:xx.xxx.xxx.xxx
国:スイス
セキュリティ上の理由であなたのApple IDは無効になっています。
このアラートが表示されたら、iforgot.apple.xxm にアクセスして既存のパスワードでアカウントのロックを解除できます。
24時間以内にアカウントを確認しないと、アカウントは永久に無効になります。
(以上ね)
2019/04/18
覚賢塔
いつの間にか桜の散る頃となって、気がつけば鎌倉まつり週間。
八幡宮への武者行列とか、舞殿での「静の舞」とかいろいろな行事があるのだが、不肖佐助庵、未だ見学したことがない。いうなれば鎌倉観光のプレゼンテーションだろう。
汗ばむほどに暖かくなってきた春の一日、街中の喧噪を避け、寂とした名刹、浄光明寺へ行ってきた。
というのも年に一度、この一週間にだけ解放される覚賢塔にお目もじしたかったからだ。
浄光明寺の裏山にある、いつもは閉じられている冷泉為相の墓の後ろの木戸をくぐり抜け、山桜の花が風に舞う尾根伝いの山道を登ったり下ったりしているうちに鬱蒼とした森の中に鎮座する覚賢塔に着いた。
3m超はあろうかという巨大な覚賢塔、正確には多宝寺跡の浄光明寺五輪塔といって、かつて浄光明寺のとなりにあった多宝寺というお寺の長老、覚賢和尚の墓塔だそう。だが多宝寺はもうすでになく、いまは浄光明寺が多宝寺跡地にあるこの五輪塔を供養している。
覚賢塔が鎌倉で一番大きい塔かと思ったらそうではなく、極楽寺にある忍性墓(塔)が一番大きな塔だそうだ。
忍性墓も年に一度、お釈迦様の生まれた日、四月八日にだけ公開されるのみ。3m50超は覚賢塔をわずかに凌ぐ。
多宝寺と極楽寺、二つのお寺とも鎌倉時代の高僧、忍性上人ゆかりのお寺。ほぼ同時期に造立された忍性墓と覚賢塔、二つの墓塔の姿かたちがそっくりなのは決して奇なことではない。
photostream :
https://www.amazon.co.jp/photos/share/aEvVmeZSAaXYvRIHC0V807XED7F4iDvqfQWKPxFjQO8
八幡宮への武者行列とか、舞殿での「静の舞」とかいろいろな行事があるのだが、不肖佐助庵、未だ見学したことがない。いうなれば鎌倉観光のプレゼンテーションだろう。
汗ばむほどに暖かくなってきた春の一日、街中の喧噪を避け、寂とした名刹、浄光明寺へ行ってきた。
というのも年に一度、この一週間にだけ解放される覚賢塔にお目もじしたかったからだ。
浄光明寺の裏山にある、いつもは閉じられている冷泉為相の墓の後ろの木戸をくぐり抜け、山桜の花が風に舞う尾根伝いの山道を登ったり下ったりしているうちに鬱蒼とした森の中に鎮座する覚賢塔に着いた。
3m超はあろうかという巨大な覚賢塔、正確には多宝寺跡の浄光明寺五輪塔といって、かつて浄光明寺のとなりにあった多宝寺というお寺の長老、覚賢和尚の墓塔だそう。だが多宝寺はもうすでになく、いまは浄光明寺が多宝寺跡地にあるこの五輪塔を供養している。
覚賢塔が鎌倉で一番大きい塔かと思ったらそうではなく、極楽寺にある忍性墓(塔)が一番大きな塔だそうだ。
忍性墓も年に一度、お釈迦様の生まれた日、四月八日にだけ公開されるのみ。3m50超は覚賢塔をわずかに凌ぐ。
多宝寺と極楽寺、二つのお寺とも鎌倉時代の高僧、忍性上人ゆかりのお寺。ほぼ同時期に造立された忍性墓と覚賢塔、二つの墓塔の姿かたちがそっくりなのは決して奇なことではない。
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2019/04/11
釈迦堂切通し
ちょっと再確認したいことがあって大町にある衣張山の登り口……ではなくて釈迦堂切通しへ行ってきた。
「釈迦堂切通し」は四十年ほど前に最初の岩石大崩落が発生して、以来一応通行止めになっていたのだが、大町や浄明寺に住む人たちにとっては、ハイソウデスカ、とすんなり聞くわけにはゆかない便利な生活道路。不肖佐助庵も十数年前にはんば探検気分でこの洞門を通りぬけたことがあった。
それが九年ほど前に二年連続してまたもや大崩落が起こり、以来大町側、浄明寺側とも鉄柵を設置して完全封鎖。そして昨年の暮れにドカーンと派手に四度目の大崩落が起こったのだった。(近所の住人談ネ)
そんなわけで不肖佐助庵、イッタイドウナッテオルノカナ、と十数年ぶりに釈迦堂切通し現地調査。
もちろんおそるおそる民家のすぐ横に設置されている鉄柵の外から……。
四度の大崩落を繰り返し、数十年の風雨にさらされてきた釈迦堂切通しはすっかり雑草や樹木に蹂躙されていて、かつての端正な面影は完全に影をひそめていた。
それでも、と用意したモノポッドの先端に据え付けたコンデジを頭上高く掲げ上げて鉄柵に張りついて写真を撮った。
では、浄明寺側はドウナッテオルノカと下をグルッとまわってアタックしてみたのだが、こちらは釈迦堂切通しが見えないところで進入禁止の鉄柵、反対側の洞門を見ることはかなわなかった。
せっかくだからと十二所(じゅうにそ)まで足を伸ばし、緑色の桜、御衣黃の定点観測。ちょっと早かったけれど御衣黃の若木は年輪を重ねるごとに立派な八重の桜を花開かせるようになっていた。あと一週間ほどで満開になるのだろう。
すぐ近くにひっそりとたたずんでいる名刹、明王院の参道は、うっすらと色づいた桜が今を盛りと満開だった。
photostream :
御衣黃
明王院
2019/04/05
Oh! ダイヤモンド
きょうこそは!と思って撮影ポイントまで行ったんだが………
ダメだった………。
なにがってダイヤモンド富士。
ちょうど富士山のてっぺんに日が沈むタイミングを「ダイヤモンド富士」というんだけどね。
不肖佐助庵、どーも縁がなくて未だダイヤモンド富士を拝んだことがない。
今日もそうだ。そろそろかな…?と思ってファインダーをのぞいたら、その瞬間に富士山の頂上を雲が覆ってしまい、で、日が沈んでしまったあとすぐに雲はきれいさっぱりと流れて去って赤く染まった空に富士山のシルエットが浮かんだというわけさ。
天気さえ良ければあすは葉山のあたりでダイヤモンド富士を拝めるんだろう。
でも行かない…。
photostream :
https://www.amazon.co.jp/photos/share/8prvmaZujQhJ1FDoxhc9D44FV69c0uE04tqcvLbUF7I
ダメだった………。
なにがってダイヤモンド富士。
ちょうど富士山のてっぺんに日が沈むタイミングを「ダイヤモンド富士」というんだけどね。
不肖佐助庵、どーも縁がなくて未だダイヤモンド富士を拝んだことがない。
今日もそうだ。そろそろかな…?と思ってファインダーをのぞいたら、その瞬間に富士山の頂上を雲が覆ってしまい、で、日が沈んでしまったあとすぐに雲はきれいさっぱりと流れて去って赤く染まった空に富士山のシルエットが浮かんだというわけさ。
天気さえ良ければあすは葉山のあたりでダイヤモンド富士を拝めるんだろう。
でも行かない…。
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桜、海棠、源平垂れ桃
このところ続いた冬の寒さですっかり風邪をひいてしまった。
しばらく寝込んでいたらだいぶよくなってきたが、まだ喉がガラガラする。
陽気も戻ってきたみたいだし、トレーニングがてらあちこち歩き回った。
しばらくみないうちにソメイヨシノがようやく満開になったみたい………なのだが今年のソメイヨシノ、爛漫の、というよりは楚々とした装い。
去年の秋に通り過ぎた台風24号の影響で鎌倉を襲った塩害のせいかどうかはわからないが、満開になる前からすでに葉桜模様。ことしの鎌倉の桜には「パッと咲き、パッと散る」ほどの勢いもない。
妙本寺の海棠。
小林秀雄の自著によれば、一人の女性をめぐって絶交状態にあった中原中也とこの樹の下で手打ちをした、という因縁の海棠だ。
桜の花にも増して濃い桃色の花が、何人もの男を翻弄するかのようにあでやかに咲き誇っていた。
長勝寺で四天王と一緒に、ちょっとさみしい満開の桜を眺め、安国論寺ではお御堂の畳の張り替えにせわしない職人さんの他には誰もいない境内で、紅白咲き分けの源平枝垂れ桃を堪能した。山門の横にはシャクナゲの花がひときわ燃えるように松葉ヶ谷の森を彩っていた。
帰りがてら通りすがった段葛のソメイヨシノもどうやら満開になったようなのだが、春爛漫の勢いもなく、それでも大勢の善男善女が桜の木の下を続く参道を行き交っていた。
しばらく寝込んでいたらだいぶよくなってきたが、まだ喉がガラガラする。
陽気も戻ってきたみたいだし、トレーニングがてらあちこち歩き回った。
しばらくみないうちにソメイヨシノがようやく満開になったみたい………なのだが今年のソメイヨシノ、爛漫の、というよりは楚々とした装い。
去年の秋に通り過ぎた台風24号の影響で鎌倉を襲った塩害のせいかどうかはわからないが、満開になる前からすでに葉桜模様。ことしの鎌倉の桜には「パッと咲き、パッと散る」ほどの勢いもない。
妙本寺の海棠。
小林秀雄の自著によれば、一人の女性をめぐって絶交状態にあった中原中也とこの樹の下で手打ちをした、という因縁の海棠だ。
桜の花にも増して濃い桃色の花が、何人もの男を翻弄するかのようにあでやかに咲き誇っていた。
長勝寺で四天王と一緒に、ちょっとさみしい満開の桜を眺め、安国論寺ではお御堂の畳の張り替えにせわしない職人さんの他には誰もいない境内で、紅白咲き分けの源平枝垂れ桃を堪能した。山門の横にはシャクナゲの花がひときわ燃えるように松葉ヶ谷の森を彩っていた。
帰りがてら通りすがった段葛のソメイヨシノもどうやら満開になったようなのだが、春爛漫の勢いもなく、それでも大勢の善男善女が桜の木の下を続く参道を行き交っていた。
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