2016/01/31

シュラートミンクへ - ザ・ナイトレース -

ハーネンカムレースを終え、取材行程は最終目的地シュラートミンクへ。
五万人の大観衆が押しよせるたった一夜の回転レース。
地元オーストリアの選手がスタートする度に大観衆の興奮度はマックスに達します。
国旗が打ち振られ、トーチに火がつけられ、コースを煙が覆ってしまう。
クリアな写真を撮りたいフォトグラファーにとって迷惑なことこのうえありません。

今宵の宿はラムサウ。長野冬季五輪に出場した横山久美子(Kumiko GROSSEGGER)さん宅。
部屋の窓からダハシュタイン山塊の見事な朝焼けを望むことができた。

今回のヨーロッパ遠征はこれにて撤収。
次のワールドカップ取材は苗場で開催される大回転と回転。
苗場でワールドカップが開催されるのは41年ぶりです。

トリプルクラッシュ!!! - ハーネンカムレース滑降 -

ハーネンカムレースの華はなんといっても滑降につきる。この日だけで4万5千人の大観衆が押しよせた。
立錐の余地もない有料コースサイドと観衆もまばらなマスターカード特設スタンド。
そう、ここはプレミアムカードのホルダーやポルシェオーナーのためのちょっとした社交場。
のんびりとシャンパンをやりながら滑降レースの観戦です。

重い雲がたれこめた滑降の日、やがていくぶん湿った雪が降り続き、山頂はガスと強風。
やむを得ずスタート台を100メートルほど下げ、1時間遅れてスタート強行です。
が、スタート早々にオーストリアの滑降スペシャリストが二人とも全く同じポイントで相次いで大転倒、ヘリで病院へと直行という事態に。続いてスタートしたノルウェイのアクセルルンド・スヴィンダルまでも!またもや同じポイントで大転倒してしまった。この事故でスヴィンダルともう一人のオーストリア選手は右膝の靱帯断裂。
今シーズンのレース復帰は不可能となってしまった。
とりわけスヴィンダルはワールドカップ総合ポイントで首位を独走中だっただけに無念この上なかったことだろう。

レースは30人がスタートし、レース成立条件を満たしたところで打ち切りとなり、続く27人の選手はハーネンカム滑降をスタートすることなくレース終了。なんとも歯切れの悪い幕切れとなってしまった。

表彰式の行われる夕刻には雪もすっかりあがり、花火で景気づけです。

フライイングブルズ - ハーネンカムレース -

さてなにから話しましょうか……。
ハーネンカムレース本番開始と共に、原稿と写真のセレクトに追いかけられて帰国するまで尻に火がついていました。
常日頃丁重な編集者も、こういうときは無情きわまりない。問答無用です。

ハーネンカムレースは、ザルツブルク空港からやってくるレッドブルのアクロバットチームFLYING BULLSによるデモンストレーションから始まります。プロペラ機からジェット機まで全てレッドブルオーナーの私的コレクション。
とりわけ目をひくのは1940年代に活躍したという双発戦闘機P-38ライトニング。
戦闘機だったとはいえその優雅な飛行ぶりに、おもわずシュトラウスのワルツを思い浮かべてしまいます。

ハーネンカムレースは3日間にわたり、スーパー大回転、滑降、回転、それに複合が行われる。

2016/01/21

ハーネンカムレース 滑降Tr.3

雪降りもだいぶ落ち着いて、きょうは穏やかなレース日和。
ハーネンカムレース滑降トレーニング。
水をまいてカリカリに凍らせたコースをよたよたと横滑り。
めざすは清水の舞台ならぬハウスベルクカンテを飛び下りてすぐ左に高速ターンをする難所です。
フォアランナーではあったが久々にクラッシュシーンをとらえることができました。
本日の犠牲者は4名ほど、うち1名はヘリで病院へ直行です。
トップをとったのが47番にスタートしたイタリアの6シーズン目、ほぼ無名の選手だった。

明日からはいよいよハーネンカムレース本番。
まずはスーパー大回転と複合回転レース。
久しく高速系にエントリーすることのなかったジャパンから須貝龍が出場、76番スタートです。

2016/01/20

番外 キッツビューエル偉人伝 ー2ー

昨年、プレスセンターの近くに「Legenden Park」というちょっとした公園が公開されていたのは知っていた。
キッツビューエル出身の偉人たちを偲ぶメモリアルパークです。
すぐ近くにあるだけになかなかタイミングも合わず、とうとう新しいハーネンカムウィークを迎えてしまった。
……というわけでトレーニングランがキャンセルされた今日、レジェンデンパークをテキトー散歩。
1956年、猪谷千春が回転で銀メダルを獲得したコルティナダムペッツォ冬季オリンピックで滑降、大回転、回転、すべてのアルペン種目で三冠王となったトニー・ザイラーが引退後、1958年に主演して世界中に公開された「黒い稲妻」(Der Schwarze Blitz)のモニュメントを囲むようにしてもみの木の垣根の中に、トニー・ザイラー、ヘルベルト・フーバー、クリスチァン・プラウダ、クリストゥル・ハースら物故したキッツビューエルの偉人たちのパネルが、
冬季オリンピックや世界選手権で獲得したメダルのレプリカと共に並んでいます。
ザイラー(1935 - 2009)は1956年コルティナダムペッツォ冬季オリンピックで滑降、大回転、回転で三冠王となった。
フーバー(1944 - 1970)は1968年グルノーブル冬季オリンピック回転で銀メダルを獲得した。
プラウダ(1927 - 1994)は1952年オスロ冬季オリンピック大回転で銀、滑降で銅メダルを獲得した。
唯一の女性レーサー、ハース(1943 - 2001)は1968年グルノーブル冬季オリンピック滑降で銅メダルを獲得した。

もちろんキッツビューエルには、まだまだ元気なレジェンドたちがたくさんいます。
いまでも毎日家の前の雪かきを欠かさないエルンスト御大は
1960年スクォーヴァレイ冬季オリンピックで大回転銅、回転金メダル獲得しているし、
アンドレアス・モルテラーはコルティナダムペッツォ冬季オリンピック滑降で銅、大回転で銀メダルを獲得した。
エルンストの息子、ハンスとて映画俳優、歌手、タレントなどをこなしオーストリア屈指のエンタテイナーとして大活躍してはいるけれど、1975年苗場で開催されたワールドカップ回転や1977年富良野の大回転で優勝しているし、
1974年サンモリッツ世界選手権大回転では銀メダルをも獲得している。

番外 キッツビューエル偉人伝 ー1ー

昨夜来の雪降り、かなりの雪をキッツビューエルにもたらしたようです。
朝には雪もやみ、青空がひろがっています。
が、きょう行われる予定だった第二回目のトレーニングランはなぜかキャンセル。
実は18日のミーティングで、19日に行われる第一回目のトレーニングランが完了できた場合、
20日の第二回目のトレーニングランはキャンセルする旨決定がなされていた。
選手、コース、共々に休養せよ、ということでしょう。
よって朝から洗濯決行です。
もちろん洗濯機などあるわけがないから手でゴシゴシと……。
おかげで指の皮がすり切れてしまった。

定宿のペンションヒンターゼアはご隠居のエルンストをはじめ、息子のハンス、グイド、みんなアルペンレーサーとして名を馳せていた名門スキー一家。だから館内には貴重なトロフィや写真が所狭しと飾られていて、さながらスキー博物館と言って良いくらいです。いつもの部屋に飾られている大きな写真にはエルンストと肩を並べてトニー・ザイラー、それに先年までジャパンのヘッドコーチを務めていたクリスチァンの父親ヒアス・ライトナーやアンドレアス・モルテラーらキッツビューエルの偉人たちの若かりし頃の姿が見られます。
日本に持ち帰りたいくらいのワンショット。

明日は第二回目のトレーニングラン。果たして天候やいかに。

2016/01/19

ハーネンカムレース 滑降Tr.1

朝、目映いばかりに陽が照っているハウスベルクカンテ、絨毯を敷きつめたように整備され、
レースにゴーサインが出ました。
初日の今日は第一回目のトレーニングラン。コースチェックを兼ねたトレーニングランとはいえ、今季絶好調三人衆、
アドリアン・トウ、ハンネス・ライヒェルト、アクセルルンド・スヴィンダルがTOP3そろい踏みです。

シュトライフ!滑降を制すること5度、キッツビューエルのレジェンドとなったスイス人、ディディエ・キューシュもVIPスタンドで、スタート直後に待ち構える「ネズミ捕り」の異名をとるマウスファーレの大ジャンプをチェック。
KJUSの赤いダウンジャケットがとてもよく似合う。

2016/01/18

フラッハウからキッツビューエルへ

暖かかったフラッハウ女子3戦。降りしきる雪は、ある意味全く別のドラマを演出したのかもしれない。
チェコやスロヴァキア、スロヴェニアといったスキー新興国が表彰台を席巻して、本命の強豪たちがすっかり脇役にまわってしまったレースだった。
ともかく雪不足でオペレーションBという史上初のミッションを完遂させたウェンゲンで
そしてここフラッハウで、雪の日曜日は終わった。

一夜明け、快晴の青空が広がるヨーロッパに待望久しい寒波が戻って来た模様です。
アパートを出るときの外気は気温マイナス10度超。暖冬になれきったからだが悲鳴を上げるほどの冷気だった。フラッハウからザルツブルクを経由していよいよキッツビューエル、76回目を数えるハーネンカムレースに乗り込みです。
「シュトライフ!」と強面のレーサーたちに怖れられるハーネンカムコース、難所中の難所ハウスベルクカンテにもここ数日の湿った雪でどうやら雪が張り付いているよう。
明日19日から、ウェンゲンのラウバーホルンレースと双璧をなすハーネンカムレースの幕が切って落とされます。

2016/01/16

フラッハウ

雪のないヨーロッパ。ワールドカップコースのセットアップにはどこも右往左往です。
スイスの名勝ウェンゲンで開催されている男子レースも雪不足でスラロームコースは緑なす草原にうっすらと雪に覆われた程度。それでも伝統のレースを途切れさすにはいかない、と組織委員会は急遽複合回転コースを滑降コース上にセットアップ。第二次大戦中も絶やすこと無く続けられた伝統のラウバーホルンレース史上初の出来事だった。
女子のレースとて例外ではない。ドイツのオフターシュヴァンクで開催される予定だったレースも急遽ここフラッハウに変更された。おかげでフラッハウに一週間い続けです。

女子回転レースが二戦終わって、なんと二戦とも優勝したのはスロヴァキアのヴェロニカ・ヴェレズ-ズズロヴァという寿限無みたいな長い名前の選手。調べてみるとヨーロッパではほとんどの国がどうやら結婚しても姓が選べるらしい。ヴェロニカの場合は結婚した相手の姓と自分の姓を合体させたということですね。昨年結婚したアルペンスキーのトップレーサー、ベンジャミン・ライヒと結婚したマルリイズ・シルトの場合は夫の姓を選び、マルリイズ・ライヒとなった。

ま、それはともかく大番狂わせのヴェロニカ、第一戦目の回転レースのコースをセットしたのがたまたま旦那様のロマイン・ヴェレズだった。フランススキーチームのコーチです。だからといってヴェロニカに有利に働いたというわけではない。が、日頃共にトレーニングを重ねていたパートナーの存在は、少なくともヴェロニカにとって心強いアドバンテージとなったことだろうと思います。

朝は気持ちのよい青空が広がるフラッハウなのだが、レースが始まる頃には必ず雪降りというパターン。
連日雪に覆われての撮影です。

2016/01/12

オーストリアから

新年早々にアルプス山中をかけめぐっています。
今シーズンは伝統のラウバーホルンレースをスキップ、美女たちのお尻に魅せられたわけではないが女子レース参戦。
どしゃ降りの雨の中ミュンヘンからザルツブルクの近く、フラッハウに入りました。
雪が心配だったのだがフラッハウはやはりアルプス、雪もまあ潤沢にあってこれならレースキャンセルの心配もない。
今日はこれから女子回転のナイトレース。今のところ天候は曇り空。

昼近くにプレスセンターに向かう途中、イベント広場ではモトクロスのデモンストレーション。
なのでカメラのコンディションチェックです。