2016/05/29

2016/05/22

memories of "shiga zin"

日本のスキージャーナリストの先駆者、志賀仁郎さんが84歳で亡くなってはや2ヶ月が過ぎた。
亡くなったのは奇しくも全日本スキー技術選の最終日だった。
日本のスキー界を憂い、いつも辛口の提言を発信し、またスキー技術の評論にも一家言持っていた志賀さんのことを、近しい者たちははんば親しみをこめて「シガジン」と呼んでいた。

昨日、白馬八方で行われた「志賀仁郎さんを偲ぶ会」に行ってきた。
志賀さんが愛用したニコンが特別にチューニングしたカメラ、それにFIS国際スキー連盟から顕彰されたトロフィが大きな遺影とならんで祭壇に置かれた会場にはスキー界の重鎮から若いスキー指導者たちまでが一堂に会し、さながら現代日本スキー界の縮図の様相。不肖佐助庵が存じ上げない顔など一人もいない会合だったから挨拶を交わす度に緊張の連続で、直会(なおらい)でいただいた酒の味などほとんど覚えていない。SAJ専務理事の古川年正さんとは数年ぶりに言葉を交わしたにもかかわらず、つい昨日会ったような気がした。最近世間を賑わした事件で連日大メディアに突っ込まれて苦渋の表情を浮かべて記者会見する古川さんの姿をTVのニュースで目にしていたからだった。

ダンディでフェミニストだったシガジンのこと、挨拶では艶っぽいはなしも出てきたのだったが、会場がおもわず和んだ1970年代、フランス黄金期に活躍した超美人レーサー、ファビアンヌ・セラの一件など明らかにほら話。佐助庵がシガジンから直接聞かされたオーストリアチームの女子レーサーとの一件など、当時大笑いしたものだった。だってレース会場で目にする件の女子レーサー、まさに男と見紛うほどの女丈夫。「日本男子の沽券にかかわって……」とシガジンは言っていたが、これもどう考えてもあり得ないほら話だった。さすがに、最後までシガジンに添い遂げられた夫人も会場で苦笑いしていらっしゃった。

帰途偶然ご一緒した平沢文夫さんともスキー技術のはなしが続きます。意外だったのはかつて日本のスキー技術を牽引した基礎スキー界の理論派、平沢さんにして「わたしは今も昔もスキー技術に関してはワールドカップレースの極限の技術しか見ない」という言葉。「ただみんなの理解のしかたが間違っている」と。そしてこまごました技術論を聞くにつけ、佐助庵も撮り終えた写真のチェックのときに同様のことを思っていたところもあって、まさか基礎スキー界きっての理論派から同じ言葉を聞くとは夢にも思わなかった。

帰り着いた鎌倉は突然の驟雨。
「ぼくのはなしはホントなんだよお」というシガジン猛抗議の涙雨だったかもしれません。

けさの佐助庵のアジサイ、ひとつだけ色づいてきました。

2016/05/14

コロポックル村から


先日ひょっこりと昔スキーグラフィックの編集部を駆け回っていた巻沙織(仮名)が遊びに来てくれた。愛娘のクレアといっしょです。
巻(仮名)は大東文化大スキー部のクロスカントリースキーでならしたスポーツウーマン。毎年ラムサウでお世話になっている横山久美子さんの後輩です。結婚して故郷のニセコに帰り、しばらくして外国からのスキーヤーを相手にガイドをやっているとは聞いていた。
会うのは巻(仮名)が新婚のとき以来だから10年近くたっているはず。

このGW前に、突然相手が不明のショートメッセージ。
「きょうは家にいますか?」
「はい、家にいます。してどちら様?」(相手が誰だかわからないから丁重にね)
待ってて下さい!内緒でーす(*^^*)
……というやりとりがあって訪ねてきてくれたのだった。突然の来訪ゆえなんのもてなしもできなくて、不肖佐助庵乾坤の本格派ナポリターナと、クレアにはグレープフルーツを搾ってジュースを出したのだが、きれいさっぱりとたいらげてくれた。…と、まあそんな一日を過ごして巻(仮名)はまた一陣の風のように佐助庵を去って行った。

…そして、きょう突然、おもいもかけない北海道からのクール宅配便。
差出人は、またもや巻(仮名)です。
箱を開けたら、北海道コロポックル村から採れたてグリーンアスパラとホワイトアスパラ。
さっそくベーコンといっしょにオリーブオイルでソテーして食ったのだが、シャキッとした食感が口の中にひろがってあっという間にひと皿大盛りをたいらげてしまった。
さて、ホワイトアスパラの方はどう調理しようか…。

しばらくアスパラガスの日々が続きそうです。

2016/05/08

薫風の候 − 滑川 東勝寺橋 −

                  敬具

2016/05/04

恒例takenoco会議

……のはずだったのだが、ことしは2週間ほど前にほぼ終了。
名人の大捜査でなんとか1本だけうまそうなタケノコをタイホ。

ま、そんなことはどうでも良い。
みんなで楽しく飲んで食べればそれでおーけーネ。
たけのこ会議のプロデューサー、中島さんが持参してきてくれたのは、故郷南魚沼の貴重な山菜。
それを調理してくれたのは、初参加、逗子在住のフォトグラファー菅沼浩さんご夫妻。
逗子産のゆでだこを持って、チャリで佐助庵にかけつけてくれた。
時の過ぎるのも忘れて、タケノコの煮物、やがてたこや山菜の天ぷらに舌鼓をうち、秋田の銘酒「蟹場の酒」でのどをうるおす。不肖佐助庵、久しぶりに人間らしい食べものをいただいた。

あ、そろそろですねえ……。

2016/05/02

白藤 - 英勝寺 -

黄金週間もひと区切り、ここ数日は、あまりの混みように家から一歩も出ず、たまの来客の相手などしていたのだが、平日のきょうは予約してあった歯医者へ重い足を運ばなければいけない日です。

が、家を一歩出て驚いた。
狭い通りは平日だというのにお稲荷様や弁天様に向かう、ひと、ヒト、人の波。さらには近くの御成小が源氏山へと総員避難訓練でワイワイガヤガヤと大行列、合間をぬって着物を召しておしゃれしてきたカップルを乗せた人力車が人波を避けながらよろよろと「歩いて」います。

歯医者でしこたま痛い目にあったあとは、そのまま裏道を通って英勝寺へ。
この辺りの通りはそれなりの人の流れなのだが、ほとんどが花の寺、海蔵寺へ向かう観光客。
訪れる人もそう多くない英勝寺、めざすのは見頃になった白藤です。

書院前の藤棚の下にもうけられている縁台に腰をおろし、しばし流れ落ちる滝のようにしだれ咲く白藤に見とれます。



藤の花もそろそろ終わりを告げる頃。
チューリヒからの客人が鎌倉を訪れる頃には、きっとあじさいが咲き誇っていることでしょう。