2019/12/08

漱石と鎌倉

「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」という正岡子規が詠んだ有名な俳句があるのだが、これとそっくりな一句を子規終生の親友だった夏目漱石が詠んでいたことを最近になって知った。
「鐘つけば銀杏ちるなり建長寺」。
こないだ北鎌倉の東慶寺の門前をうろうろしてたら、石段下の目立たないところに石碑があって、ひまにあかせてその石碑をまじまじと眺めていたら、石碑に漱石の「初秋の一日」という随筆の一部が刻まれていて、そこに面白いことが書いてあった。
「……高い石段の上に萱葺の山門が見えた。Zは石段を上る前に、門前の稲田の縁に立って小便をした。自分も用心のため、すぐ彼の傍へ行って顰に倣った。……」
ン? Zォ? 顰に倣ったァ? 石碑の横にあった案内板を読んだら、Zというのは満鉄総裁の中村是公のこと、「顰に倣った」とは連れションのこと、と書いてあった。石碑は漱石と中村是公が連れションをした場所に建てられたらしい。
……なんだ、教科書に載るような偉い人もヤッパリ同じ事やってんじゃねーか、とちょっと笑ってしまった。
はなしを元に戻す。
じゃあどーして漱石が建長寺で、東慶寺なのかというと、悩みを抱えていた若い頃の漱石が円覚寺に滞在し、参禅したときの管長だった偉いお坊様が後に建長寺の管長も兼任して、管長を辞めた後東慶寺の住職になった、と。
どうでもよいことだが、建長寺の鐘楼の案内板には子規の句と漱石の句の関わりを誇らしげに書いてあるが、これはやめといたほうがよいだろう。国宝の名を貶める。

photostream :
東慶寺
https://www.amazon.co.jp/photos/share/rMQPk4mEVxMkgngK4XbDTsyb5GO07Lg56AdRmM1HJAk