2011/08/25

悲しみのオーロラ(追記

「 look at! オーロラ!」
突然、傍らのガイドがさけびました。
クイーンズタウンの街で遅い夜食をとってホテルに帰るときのこと。雲ひとつない夜の空を星が埋めつくしています。
けれど自分にはガイドが指さす南十字星の方向にいくら目をこらしても、星以外にはなにも目にはいらなかった。
「 nothing than the stars……」とつぶやくしかありません。
数年前の9月の出来事です。

オーロラをめぐって悲しい思い出があります。
1994年2月、そう、ノルウェーで開催されたリレハンメル冬季五輪取材時。
アルペンスキーのメイン会場となった小さな村クヴィートフィエルには宿泊施設も多くありません。
そこで大会の2シーズン前だったか、クヴィートフィエルでワールドカップが開催されたときに二人の先達フォトグラファーが苦心惨憺してひとりの村人、モハイムさんと話をつけてくれました。前払いする我々の滞在費で、ゴール至近の場所に一軒のロッジを新築してくれるというのです。それが「モハイム邸」。立派な二階建ての山荘です。
そうしてモハイム邸で六人のフォトグラファーと一人の編集者の生活がはじまりました。

冬季五輪史上最北での開催となったリレハンメルの気温は噂にたがわずマイナス40度前後の日々が続きます。村の界わいより日のあたる山の上部の方がいくぶん暖かく感じられるくらい。

モハイム邸では、一日の取材を終えて、今日の「お宝」フィルムを整理し、原稿を書いたあとはいよいよ夜の時間が始まります。
ひたすらストーブの薪をいじる住人。薪のくべ方がわるいとクレームをつける住人。ソファに身を沈めてピュアモルトでのどを潤す住人。明日のスケジュールを念入りにチェックする住人。シェフ担当は台所で夜食の仕込みです。暖かい空気が流れ穏やかな夜がふけてゆきます。

突然だれかが「オーロラだ」とさけびました。
そう、空一面に、それはそれは見事なオーロラがひろがっていたのです。
ガラス戸を開け、デッキに出ると強烈な冷気が肌を刺し、10秒と外にはいられません。
ガラス戸を閉め、家中の照明をすべて消して、しばしオーロラのダンスに見入ります。
30分ほどだったのか、それとも一時間を超えていたのでしょうか、記憶はありません。

やがてオーロラは漆黒の空を静かに消え去っていきました。

ふとわれにかえったときに「だれか写真撮った?」と声がしました。
けれどもだれもカメラを持ち出していなかった。
六人のフォトグラファーと一人の編集者だれひとりとしてオーロラの写真を撮っていなかったのでした。

クヴィートフィエルの夜空にオーロラがすがたをあらわすことは二度となかった。

モハイム邸の前で   photo by Hiro Yakushi
追記:諸兄の名誉のために申し上げますが、この時代はまだフィルムの時代だった。
オーロラを撮るためにはかなり高感度のフィルムが必要だったのですよ。