2014/02/02

ソチ断念

思えば1988年のカルガリー以来、アルベールヴィル、リレハンメル、長野、ソルトレイク、
トリノ、バンクーバー、7度の冬季五輪を取材する機会に恵まれた。
もちろん周囲の関係者の甚大な助力があったからこそできた取材だった。

そしてソチ。冬季五輪としては初の共産圏での開催。
入ってくる情報が錯綜して、実のところ秋頃までは「今回はちょっと…」という気持ちで
あまり気合いが入っていなかったのも確かだ。
それがスキー各誌の編集長やSAJの尽力であれよあれよという間に取材の話が進み、
あっという間にソチ冬季五輪のIDカードが発行されることになり、
暮れになってロシア入国のビザを兼ねる貴重なIDカードを手にした。
そうして「よし、ソチでもいいシゴトをしてやろう」 と気持ちを新たにしたのだった。

この1月にヨーロッパでアルペンスキーのワールドカップを取材したときも、
ことあるごとにソチ情報を収集したのだった。
撮影に挑む身にとって一番大切な事、アルペンスキーのフォトシェフには、
フランスのフォトエージェンシーzoomのフランシスが就任したと聞いた。
フムフム、旧知の間柄だから多少の無理難題くらいは……と安堵したのもつかの間、
あとは取材環境にマイナスイメージの情報ばかり。

フライトチケットはモスクワ経由ソチ行きを手配、宿舎はアルペンスキー会場となるローザ・コテル・アルパインリゾートでアパートやホテルを探したのだったが時すでに遅く、どこも満パイ。本会場となる黒海のリゾート、アドレル地区にはアパートはほとんどなく、ようやく一番安いホテルを予約したのだった。
それも20㎡のツインに3週間滞在で60万円! もちろん食事はなし、キッチンもついていない。
この一件でかなり意気消沈してしまったのも確かである。

追い打ちをかけたのがヨーロッパのスキージャーナリストの反応。
ワールドカップ創設者の一人であるセルジュ・ラングの息子、パトリックは行かないと言うし、スウェーデンのニッセも「ジョーダンじゃない、行かないよ」とキッパリ。オーストリアのハンス・ベザードもナイン。
行くのはzoomやPENTAやロイターといったフォトエージェンシー関係ばかり。

というわけでチューリヒからの機中でじっくり考えて「ソチ断念」という苦渋の決断を下したのだった。
土壇場のキャンセルゆえ、ホテル代は全額没収、かろうじてフライトチケットが返金されるのみである。

なにより、ソチのIDカード取得に尽力してくれた関係者の胸中をおもんばかると、
息苦しくなるほどに心がしめつけられる。